鴻凛會 KRK gym

プロフィール
鴻凛會代表 空手指導30年 KRKgym主宰
このページの管理人は、めぐ先生。空手歴 25年ほど。
福岡県行橋市・京築で、子どもたちの指導を続けている。

カラテ&キックボクシング。勝つことも大事、そして自分をかっこよく表現するテクニックも大事。個人に合った動きテクニックの指導に少し比率重くしてます。
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2025-11-09 16:53:00

凡事徹底

準備は怠りなくしろ。
しかし、実行に移す時が来たら、準備半ばでも行動しろ。

   たぶん…。ナポレオン


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凡事徹底──「当たり前」を磨くということ

「凡事」とは、単純明快簡単なこと、普通のこと。
目を引く技でも、斬新なアイデアでもない。


それは、平凡なこと。いつものこと。やらなきゃいけないだけのこと。
けれど──
その「平凡」を、淡々と、抜けもれなく、丁寧に積み重ねること。

それこそが「凡事徹底」です。
工夫や改善は、まず「徹底」の先に

人はすぐに「工夫」や「改善」を求める。
もっと良くしたい。
まずは、基礎・基本を抜けもれなくやる。
それができて初めて、「どこを改善するか」「何を工夫するか」が見えてくる。
アイデアや利益を追いかける前に、土台を固める。
それが、真の成長への道だ。


凡事を極めれば、応用は自在

凡事を徹底すれば、応用は無限に広がる。
右へも、左へも、少し右でも、後ろでも。
どの方向へでも、しっかりと踏み出せる。
なぜなら、基礎があるから。
揺るがない土台があるから。
「凡事」は、誰にでもできる。だからこそ、誰もが見過ごす
派手さはない。
目立たない。


けれど、そこにこそ本質がある。
日々の掃除、挨拶、準備、確認──


それらを丁寧に、誠実に、繰り返すこと。
それが、道を拓く。

凡事徹底。これは呼吸のごとくだね。



鴻凛會・KRKgymに通じる「凡事」の力

武道の稽古も、キックのミット打ちも、
一見すると「いつものこと」の繰り返し。

けれど、その一打に心を込める。
その一礼に感謝を込める。
それが、凡事徹底の稽古であり、生き方である。
凡事徹底──それは、静かなる覚悟。
誰にも見えないところで、誰にも負けない努力を積むこと。
その積み重ねが、やがて「非凡」へと変わる。




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だが、しかし、「徹底してやる」のだが、
「工夫しなきゃいけない」ときが来たら工夫していく。

いいや、その時では遅いかも。

ただの凡事をやっているが…うまくできない。
ならば、工夫する。

その凡事が何となくできたなら、すぐに次へと進む。

かまわない。すぐさま次に進もう。
「凡事」を疎かにするの?


いいえ。次に進み、また凡事に戻る。

途中からは交互にやるぐらいのつもりで。


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準備は怠りなくしろ。
しかし、実行に移す時が来たら、準備半ばでも行動しろ。

   たぶんナポレオン。



この言葉は、凡事徹底の本質を突いている。
「準備」と「行動」。
「徹底」と「工夫」。
その間を行き来する柔軟さこそが、真の実力を育てる。
その時が来る前に。先読みして工夫して進んでみよう。

凡事とは何か。
先にも書きましたが、

凡事とは、単純で、明快で、簡単なこと。
目を引く技でも、斬新なアイデアでもない。
それは、平凡なこと。いつものこと。やらなきゃいけないだけのこと。
けれど──
その「平凡」を、淡々と、抜けもれなく、丁寧に積み重ねること。
それこそが「凡事徹底」


凡事徹底。
やり込んでいれば、ある日誰かの動きを見ていて気付くはず。

「あれ、こうすればもっと良い動きで技が活きるのでは?」
「あれ、あの動きに対して、僕はこう動けば対応できるのでは?」

ハッキリとではないけど、「ナニカ」が見えてきます。

みんな「凡事を徹底ね
2025-11-02 21:06:00

11月3日(月)道場は休みです

鴻凛會です

通常は祝日関係なく道場開けてますが

11月3日(月)はキックボクシングの試合の為

道場お休みとなります

道場お休み.png

3人出場してきます☺️

その3人共、リングデビュー戦です!

本人ももちろん、親御さんもきっとドキドキでしょう

こればっかりはやってみないと分かりません

リング上は自分の見せ場です

思い切り自分を出し切って欲しいな♡

応援よろしくお願いいたします!

 

大きな怪我なく終われますように📣

 

2025-10-14 07:02:00

保護者の方・提案です。

「褒める」より難しい?

子どもの心が本当に育つ「3つの関わり方」]
…本当かどうかは定かでない?(^^♪


親のジレンマ、よく分かります

道場での稽古を見ていて、
「もう少し真剣にやってほしいな…」
「またふざけてる…」

そう思ったことありますよね?

親として当然です。
我が子に「ちゃんとやってほしい」と思うのは、愛情がある証拠。

だけど、その“ひと言が、実は子どもの心の中では違う響き方をしていることもあります。

空手の現場で長年見てきて、僕はこう感じます。
「正しく導こう」と思うほど、親の顔が★先生。になってしまう。
けれど、子どもがいちばん求めているのは「味方」と感じます。

今日はそんな想いから、僕が保護者のみなさんに伝えたい、
3つの関わり方★をお話します。


【1】説教より、まず「聴く」

嫌われ役はボクがします。

稽古の時に「叱る」や「怒る」役は、僕がやります。
それが僕の役目かな。

親御さんにはぜひ、“聞き役”に徹してほしい。

たとえば、家で子どもにこう聞いてみるのはどう。

  • 「今日、楽しかった?」

  • 「難しかった?」

  • 「みんなと協力できた?」

  • 「痛かった?」

  • 「怖かった?」

たとえ「うまくできなかった」と言っても、否定しなくていいんです。
「そうか」「疲れたね」「難しいよね。」
――それだけで十分な気がしますよ。

そこに正解は要りません。
“聞いてもらえた”という安心感が、子どもの心を整えるのでは。

そしてもし「なんで怒られたのかな?」と話し出したら、
一緒にその“理由”を探していく。
答えを急がず、子どもの世界を一緒に覗くつもりで。
解決は、子ども自身がいつか見つけますよ。
フォローが必要そうなとき、その言葉を探しましょうね。


【2】「褒める」よりも「認める」なんてどうですか。

結果より“過程”を見てあげてください

僕はよくこう言います。
「認めることって、褒めるより難しいですよ」と。

“褒める”は結果への反応。

でも“認める”は、その前の過程への理解と共感です。

試合に出た。
練習を頑張った。
泣きながらも続けている。
そういう姿そのものに
「すごいな」
「頑張ってるね」と言ってあげてください。

それは評価じゃなくて“感動”。
「すごい結果」じゃなく、「すごい過程」を見つけてあげる。
子どもは、そのまなざしで、自分の価値を学びます。

ボクが感じている試合の内容。
「凄い。」と思ったところと、「パパママ」が「凄い」
思ったところちがいますよね。

でも、ガンバッて、日々積み重ねている凄さをかんじてね。


【3】教えるより、「一緒に考える」

教育者ではなく、“伴走者”として

子どもが相談してきた時、
つい「こうしなさい」と言いたくなりますよね。
でも、僕はあえてこう提案します。
(・・・こたえおしえてしまうんですよね・・・コレが。
わからないんじゃないかと不安にさせたくはない・あと解らないのと、思われたくない。ので・・・つい。)

「一緒に考えようか」

このひと言で、立場が変わります。
上からの指導者ではなく、隣に座る伴走者になります。

「こうすればいい」と教えるより、
「どうしたらいいと思う?」と一緒に悩む。
その時間が、子どもの“考える筋肉”を育てます。

僕はいつも、「カラテのときだけでも、ぜひ試してください」と言っています。
日常全部を変える必要はありません。
でも、道場での一瞬に“伴走する親”がいると、子どもの心は確実に変わります。



子どもたちは、僕らが思うよりずっと複雑です

ゲームもしたい。遊びたい。だけど今は道場に来ている。
それって、子どもなりに★戦ってるんです。

僕ら大人だって、「今日は仕事したくないなぁ」って日ありますよね?
彼らはそれを、日々乗り越えています。
空手は、その経験の一つ。


最後に──「子どもの言葉を楽しむ」

僕が伝えたいのは、これに尽きます。
「子どもの言葉を、楽しんでください。」

評価じゃなく、感動。
「ちゃんと聞いてあげよう」じゃなく、
「聞けてうれしいな」でいい。

子どもの言葉は、成長の証です。
怒りや涙も、心が動いている証拠。
それを楽しめる親子関係が、一番強くて、一番優しい。

押忍。

これが、僕が空手を通して感じた“子どもの心を育てる3つの関わり方”です。
叱るのは僕の役目。
親御さんは、どうか一緒に感じて、一緒に笑って、一緒に悩んであげてください。
(学校の先生ってすごいな。と思うここ十数年)


✊ まとめ

1️⃣ 聴くこと中心に。
2️⃣ 結果より過程を認める。
3️⃣ 教えるより一緒に考える。

この3つ。
どれも難しいけど、どれも「愛」がなきゃできない。
だからこそ、子どもの心は育ちます。

愛だよ。愛。

2025-10-04 21:15:00

10月6日と7日はお休みです🙏

鴻凛會です。

10月6日と7日は道場お休みです!

また水曜日の空手からよろしくお願いします

 

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昇級する子が多い月末でした!

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色が連れていってくれる😊

カッコいいよ!

 

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4歳の子も頑張ってます!

誰よりも大きな声で立派です😆

 

 

 

 

2025-09-28 17:22:00

花は自分が咲く場所を選べるのだろうか?

花は自分が咲く場所を選べるのだろうか?

選べない、でも私たちは選べる。

人生を「自分の思い」で咲かせるための3つの視点

ふと、立ち止まって自問したことはありませんか。
「今の場所で、本当に自分らしく咲き誇れているだろうか?」と。

キャリアや日々の暮らしの中で、ボクたちは自分のいるべき場所や進むべき道に迷いを感じることがあります。


そんな時、道端に咲く一輪の花に目を向けてみてください。
誰に見られるでもなく、ただひたむきに空を目指すその姿は、私たちに人生における大切な何かを教えてくれます。

ちょっとポエムな書き方ですが、ボクの顔を想像せずによんでね。

そんな生き様り花を手がかりに、私たちが自分の人生を「自分の思い」で咲かせるための3つの視点を探求していきます。



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1. 「咲く場所」は選べなくても、「咲き方」は選べる


花はその場で咲くしかない。

たとえそれが日当たりの良い花壇であろうと、
人通りの少ない道端であろうと、
与えられた場所で根を張り生きる。

その姿に悲壮感はありますか?
そこには「道端でも花壇でも、そこで咲くなら咲き誇ってみたい」
静かな決意があるのか。
別に決意も何も、ここで咲くから咲いて魅せる。
その意志だけのような気もします。



「置かれた場所で咲きなさい」という言葉は、
時として諦めや現状維持を促す言葉として捉えられがちです。

その本質は。
それは、変えられない環境を嘆くのではなく、
その制約の中でいかに自分を最大限に輝かせるか、
力強い意志の表れなのです。

環境がどうであれ、自分自身の「咲き方」を選ぶことは、誰にもできるのです。

それが幸と出るのか不幸と出るのか。
それは今はわからないでしょう。
「その時」が来るまでわからないでしょう。



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2. 「選ばれること」が、真の自由とは限らない

道端に咲く花が、ある日誰かに「摘まれる」ことがある。
それは一見幸運な出来事に見えるよね。
キャリアにおける昇進や引き抜き、他者からの高い評価も、
この「摘まれる」という行為によく似ているのか。

認められ、選ばれることの魅力は抗いがたく、
差し出されたその手を取ることで、道が開けるように感じられます。

しかし、その先に待つのが真の自由とは限りません。
摘まれた花は、確かにその場から動くことができます。
けれど、その行き先は自分で決めることができるのか?。


摘まれたら動けるけれど、自分の行きたい場所とは限らない。
途中で捨てられるかも、
生けられるかも。


美しい花瓶に「生けられる」人生。
きれいに飾られ、多くの人から称賛される生き方も、それはそれで良いのかもしれません。
けれど、もし叶うのであれば、やはり「我が思いの中で咲きたい」と願うのが、
ボクの心の奥にある本質だと。


他者の選択に身を委ねる安堵感と引き換えに、ボクは自らの意志を手放していないか、深く問いかける必要があります。



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3. 私たち人間が持つ、たった一つの決定的な力


花とボクとの決定的な違いは何でしょう。
それは、自分たちの「意志」で動ける。コレかな。

ボクは咲く場所が気に入らなければ、自らの足で新たな場所を探すことができます。
この「意志」こそが、不毛に思える場所であっても自分だけの咲き方を定め、
差し伸べられた手が、真の目的地へと導くのか、それともただ美しい飾り物の花瓶へと誘うだけなのかを見極める力となるの気がします。

美しく飾ってもらえるならば、それはそれで嬉しい。


心の内に響く、静かに何度も話しかけるなにか。
周りの声や環境に流されるのではなく、 
自分がどうありたいのか、
どこへ向かいたいのかを問い続ける。
ボクたちの「意志」は自分を育てようという呼びかけに応えることができるのです。
その先に、自分だけの道が拓けていきます。

ただ、その先というか道は開けているだけで、不毛なのかもしれない。


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うん。なんというか…。:未来へと思いを馳せる結び

花の生き様は、ボクに大切なことを教えてくれます。

咲く場所は選べずとも、咲き方は自らで決められること。
他者に選ばれる華やかさ。
それが必ずしも自分の望む自由と一致するわけではないこと。

そして何より、ボクには、自らの意志で人生を動かしていく決定的な力があるということです。
…けっこう優柔不断ですが…。


花は、ただその場で咲き誇ります。
ぼくは意志を持って自分の咲く道を選ぶことができます。

その選択肢があること自体が、僕たち人間が持つ最大の希望なのかも。

今日、ボクははどんな「意志」を育てるか? 
そして明日、「きみは」どんな「思い」で咲きますか?

などと、ポエマーな記事でした。

ついでに。
今日9月の27日土曜日。蛹が羽化しようとしてました。
途中で力尽きてました。

あと少し。
くもり空でしたが、翔び立つチャンスがあったのでしょうが。。。
今目の前にチャンスがあります。
事実として動けるのですから、羽を動かすことができるのですから、羽を動かしてみましょう。

少なくとも君たちは飛べるはずです。
飛ぼう。

跳んで見よう。翔べるよ。

飛べ。

 

 

 

 

 

 

2026.10.13 Tuesday