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2025-11-09 16:57:00

姿勢①

その時にあった立ち姿を

【姿勢の美しさ】だいじよね。

――立ち姿で勝負は始まり、終わっても続く――

試合会場で、まだ試合が始まっていないのに「強そう」と感じる選手がいる。
技を出す前から、もう“勝負”は始まっているね。

立ち方。
目線。
身体の力の入り具合。
わずかな重心の位置。

そのすべてに「日々の稽古」と「心の在り方」がにじみ出ます。

難しいよね。
いまだに僕もできてないと思う。


■ 姿が語るもの

空手に限らず、立ち姿はその人の“生き方”を映します。
焦りがある者は揺れ、慢心がある者は傾く。

心が整った者は、ただ静かに立つだけで空気を変えます。

試合で、どちらも互角のとき――
その一瞬の「立ち姿」で、勝敗が決まることもあります。

それは、技ではなく「品」。
形ではなく「魂」。

そう姿勢です。


■ 試合のあとにも、勝負は続く

試合が終わり、判定を待つ時間。

このときの姿こそ最も見られている。

勝っても驕らず、負けても崩れず。

まっすぐ立ち自信に満ちた姿。相手を敬う姿。

それが“勝者の立ち姿”かな。

勝敗のあとにも、勝負は続いている。
勝っても負けても、試合会場を降りる姿。
控室の姿。

そこにいる姿こそが、本当の「自分」としての価値を映す。

…難しいよね。僕もできてない('ω')



■ 立ち姿を磨く稽古

立ち方を整えるとは気持ちを整えること。
そして「音色」を整えること。

耳に聞こえないけど聞こえてきそうな「音」
目に見える「音」

目に見えないけど感じる「色」
耳に聞こえるその人の「色」

姿勢の美しさは、呼吸・礼・目線・足裏の感覚、すべての積み重ね。
毎日の立ち方、礼の仕方が“試合の顔つき”をつくります。

立ち姿は、「静の型」。
どんな型よりも、その人の人生が出る。

かもね。(^_-)-☆


🥋まとめ

  • 試合は、立つ瞬間から始まる。

  • 勝敗は、終わったあとにも続いている。

  • 姿勢が整えば、心も強くなる。

「姿」が語る人になろう。
見ただけで“あ、この人は本気だな”と伝わるように。

それが自分の価値を高めて、信用・信頼高めて。

自分を「凛々しく」「鴻鵠の志」ある人物にします。

2025-11-09 16:53:00

凡事徹底

準備は怠りなくしろ。
しかし、実行に移す時が来たら、準備半ばでも行動しろ。

   たぶん…。ナポレオン


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凡事徹底──「当たり前」を磨くということ

「凡事」とは、単純明快簡単なこと、普通のこと。
目を引く技でも、斬新なアイデアでもない。


それは、平凡なこと。いつものこと。やらなきゃいけないだけのこと。
けれど──
その「平凡」を、淡々と、抜けもれなく丁寧に積み重ねること

それこそが「凡事徹底」です。
工夫や改善は、まず「徹底」の先に

人はすぐに「工夫」や「改善」を求める。
もっと良くしたい。
まずは、基礎・基本を抜けもれなくやる。
それができて初めて、「どこを改善するか」「何を工夫するか」が見えてくる。
アイデアや利益を追いかける前に、土台を固める。
それが、真の成長への道だ。


凡事を極めれば、応用は自在

凡事を徹底すれば、応用は無限に広がる。
右へも、左へも、少し右でも、後ろでも。
どの方向へでも、しっかりと踏み出せる。
なぜなら、基礎があるから。
揺るがない土台があるから。
「凡事」は、誰にでもできる。だからこそ、誰もが見過ごす
派手さはない。
目立たない。


けれど、そこにこそ本質がある。
日々の掃除、挨拶、準備、確認──


それらを丁寧に、誠実に、繰り返すこと。
それが、道を拓く。

凡事徹底。これは呼吸のごとくだね。



鴻凛會・KRKgymに通じる「凡事」の力

武道の稽古も、キックのミット打ちも、
一見すると「いつものこと」の繰り返し。

けれど、その一打に心を込める。
その一礼に感謝を込める。
それが、凡事徹底の稽古であり、生き方である。
凡事徹底──それは、静かなる覚悟。
誰にも見えないところで、誰にも負けない努力を積むこと。
その積み重ねが、やがて「非凡」へと変わる。




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だが、しかし、「徹底してやる」のだが、
「工夫しなきゃいけない」ときが来たら工夫していく。

いいや、その時では遅いかも。

ただの凡事をやっているが…うまくできない。
ならば、工夫する。

その凡事が何となくできたなら、すぐに次へと進む。

かまわない。すぐさま次に進もう。
「凡事」を疎かにするの?


いいえ。次に進み、また凡事に戻る。

途中からは交互にやるぐらいのつもりで。


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準備は怠りなくしろ。
しかし、実行に移す時が来たら、準備半ばでも行動しろ。

   たぶんナポレオン。



この言葉は、凡事徹底の本質を突いている。
「準備」と「行動」。
「徹底」と「工夫」。
その間を行き来する柔軟さこそが、真の実力を育てる。
その時が来る前に。先読みして工夫して進んでみよう。

凡事とは何か。
先にも書きましたが、

凡事とは、単純で、明快で、簡単なこと。
目を引く技でも、斬新なアイデアでもない。
それは、平凡なこと。いつものこと。やらなきゃいけないだけのこと。
けれど──
その「平凡」を、淡々と、抜けもれなく、丁寧に積み重ねること。
それこそが「凡事徹底」


凡事徹底。
やり込んでいれば、ある日誰かの動きを見ていて気付くはず。

「あれ、こうすればもっと良い動きで技が活きるのでは?」
「あれ、あの動きに対して、僕はこう動けば対応できるのでは?」

ハッキリとではないけど、「ナニカ」が見えてきます。

みんな「凡事を徹底ね
2025-10-14 07:02:00

保護者の方・提案です。

「褒める」より難しい?

子どもの心が本当に育つ「3つの関わり方」]
…本当かどうかは定かでない?(^^♪


親のジレンマ、よく分かります

道場での稽古を見ていて、
「もう少し真剣にやってほしいな…」
「またふざけてる…」

そう思ったことありますよね?

親として当然です。
我が子に「ちゃんとやってほしい」と思うのは、愛情がある証拠。

だけど、その“ひと言が、実は子どもの心の中では違う響き方をしていることもあります。

空手の現場で長年見てきて、僕はこう感じます。
「正しく導こう」と思うほど、親の顔が★先生。になってしまう。
けれど、子どもがいちばん求めているのは「味方」と感じます。

今日はそんな想いから、僕が保護者のみなさんに伝えたい、
3つの関わり方★をお話します。


【1】説教より、まず「聴く」

嫌われ役はボクがします。

稽古の時に「叱る」や「怒る」役は、僕がやります。
それが僕の役目かな。

親御さんにはぜひ、“聞き役”に徹してほしい。

たとえば、家で子どもにこう聞いてみるのはどう。

  • 「今日、楽しかった?」

  • 「難しかった?」

  • 「みんなと協力できた?」

  • 「痛かった?」

  • 「怖かった?」

たとえ「うまくできなかった」と言っても、否定しなくていいんです。
「そうか」「疲れたね」「難しいよね。」
――それだけで十分な気がしますよ。

そこに正解は要りません。
“聞いてもらえた”という安心感が、子どもの心を整えるのでは。

そしてもし「なんで怒られたのかな?」と話し出したら、
一緒にその“理由”を探していく。
答えを急がず、子どもの世界を一緒に覗くつもりで。
解決は、子ども自身がいつか見つけますよ。
フォローが必要そうなとき、その言葉を探しましょうね。


【2】「褒める」よりも「認める」なんてどうですか。

結果より“過程”を見てあげてください

僕はよくこう言います。
「認めることって、褒めるより難しいですよ」と。

“褒める”は結果への反応。

でも“認める”は、その前の過程への理解と共感です。

試合に出た。
練習を頑張った。
泣きながらも続けている。
そういう姿そのものに
「すごいな」
「頑張ってるね」と言ってあげてください。

それは評価じゃなくて“感動”。
「すごい結果」じゃなく、「すごい過程」を見つけてあげる。
子どもは、そのまなざしで、自分の価値を学びます。

ボクが感じている試合の内容。
「凄い。」と思ったところと、「パパママ」が「凄い」
思ったところちがいますよね。

でも、ガンバッて、日々積み重ねている凄さをかんじてね。


【3】教えるより、「一緒に考える」

教育者ではなく、“伴走者”として

子どもが相談してきた時、
つい「こうしなさい」と言いたくなりますよね。
でも、僕はあえてこう提案します。
(・・・こたえおしえてしまうんですよね・・・コレが。
わからないんじゃないかと不安にさせたくはない・あと解らないのと、思われたくない。ので・・・つい。)

「一緒に考えようか」

このひと言で、立場が変わります。
上からの指導者ではなく、隣に座る伴走者になります。

「こうすればいい」と教えるより、
「どうしたらいいと思う?」と一緒に悩む。
その時間が、子どもの“考える筋肉”を育てます。

僕はいつも、「カラテのときだけでも、ぜひ試してください」と言っています。
日常全部を変える必要はありません。
でも、道場での一瞬に“伴走する親”がいると、子どもの心は確実に変わります。



子どもたちは、僕らが思うよりずっと複雑です

ゲームもしたい。遊びたい。だけど今は道場に来ている。
それって、子どもなりに★戦ってるんです。

僕ら大人だって、「今日は仕事したくないなぁ」って日ありますよね?
彼らはそれを、日々乗り越えています。
空手は、その経験の一つ。


最後に──「子どもの言葉を楽しむ」

僕が伝えたいのは、これに尽きます。
「子どもの言葉を、楽しんでください。」

評価じゃなく、感動。
ちゃんと聞いてあげよう」じゃなく、
「聞けてうれしいな」でいい。

子どもの言葉は、成長の証です。
怒りや涙も、心が動いている証拠。
それを楽しめる親子関係が、一番強くて、一番優しい。

押忍。

これが、僕が空手を通して感じた“子どもの心を育てる3つの関わり方”です。
叱るのは僕の役目。
親御さんは、どうか一緒に感じて、一緒に笑って、一緒に悩んであげてください。
(学校の先生ってすごいな。と思うここ十数年)


✊ まとめ

1️⃣ 聴くこと中心に。
2️⃣ 結果より過程を認める。
3️⃣ 教えるより一緒に考える。

この3つ。
どれも難しいけど、どれも「愛」がなきゃできない。
だからこそ、子どもの心は育ちます。

愛だよ。愛。

2025-09-28 17:22:00

花は自分が咲く場所を選べるのだろうか?

花は自分が咲く場所を選べるのだろうか?

選べない、でも私たちは選べる。

人生を「自分の思い」で咲かせるための3つの視点

ふと、立ち止まって自問したことはありませんか。
「今の場所で、本当に自分らしく咲き誇れているだろうか?」と。

キャリアや日々の暮らしの中で、ボクたちは自分のいるべき場所や進むべき道に迷いを感じることがあります。


そんな時、道端に咲く一輪の花に目を向けてみてください。
誰に見られるでもなく、ただひたむきに空を目指すその姿は、私たちに人生における大切な何かを教えてくれます。

ちょっとポエムな書き方ですが、ボクの顔を想像せずによんでね。

そんな生き様り花を手がかりに、私たちが自分の人生を「自分の思い」で咲かせるための3つの視点を探求していきます。



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1. 「咲く場所」は選べなくても、「咲き方」は選べる


花はその場で咲くしかない。

たとえそれが日当たりの良い花壇であろうと、
人通りの少ない道端であろうと、
与えられた場所で根を張り生きる。

その姿に悲壮感はありますか?
そこには「道端でも花壇でも、そこで咲くなら咲き誇ってみたい」
静かな決意があるのか。
別に決意も何も、ここで咲くから咲いて魅せる。
その意志だけのような気もします。



「置かれた場所で咲きなさい」という言葉は、
時として諦めや現状維持を促す言葉として捉えられがちです。

その本質は。
それは、変えられない環境を嘆くのではなく、
その制約の中でいかに自分を最大限に輝かせるか、
力強い意志の表れなのです。

環境がどうであれ、自分自身の「咲き方」を選ぶことは、誰にもできるのです。

それが幸と出るのか不幸と出るのか。
それは今はわからないでしょう。
「その時」が来るまでわからないでしょう。



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2. 「選ばれること」が、真の自由とは限らない

道端に咲く花が、ある日誰かに「摘まれる」ことがある。
それは一見幸運な出来事に見えるよね。
キャリアにおける昇進や引き抜き、他者からの高い評価も、
この「摘まれる」という行為によく似ているのか。

認められ、選ばれることの魅力は抗いがたく、
差し出されたその手を取ることで、道が開けるように感じられます。

しかし、その先に待つのが真の自由とは限りません。
摘まれた花は、確かにその場から動くことができます。
けれど、その行き先は自分で決めることができるのか?。


摘まれたら動けるけれど、自分の行きたい場所とは限らない。
途中で捨てられるかも、
生けられるかも。


美しい花瓶に「生けられる」人生。
きれいに飾られ、多くの人から称賛される生き方も、それはそれで良いのかもしれません。
けれど、もし叶うのであれば、やはり「我が思いの中で咲きたい」と願うのが、
ボクの心の奥にある本質だと。


他者の選択に身を委ねる安堵感と引き換えに、ボクは自らの意志を手放していないか、深く問いかける必要があります。



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3. 私たち人間が持つ、たった一つの決定的な力


花とボクとの決定的な違いは何でしょう。
それは、自分たちの「意志」で動ける。コレかな。

ボクは咲く場所が気に入らなければ、自らの足で新たな場所を探すことができます。
この「意志」こそが、不毛に思える場所であっても自分だけの咲き方を定め、
差し伸べられた手が、真の目的地へと導くのか、それともただ美しい飾り物の花瓶へと誘うだけなのかを見極める力となるの気がします。

美しく飾ってもらえるならば、それはそれで嬉しい。


心の内に響く、静かに何度も話しかけるなにか。
周りの声や環境に流されるのではなく、 
自分がどうありたいのか、
どこへ向かいたいのかを問い続ける。
ボクたちの「意志」は自分を育てようという呼びかけに応えることができるのです。
その先に、自分だけの道が拓けていきます。

ただ、その先というか道は開けているだけで、不毛なのかもしれない。


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ん。なんというか…。:未来へと思いを馳せる結び

花の生き様は、ボクに大切なことを教えてくれます。

咲く場所は選べずとも、咲き方は自らで決められること。
他者に選ばれる華やかさ。
それが必ずしも自分の望む自由と一致するわけではないこと。

そして何より、ボクには、自らの意志で人生を動かしていく決定的な力があるということです。
…けっこう優柔不断ですが…。


花は、ただその場で咲き誇ります。
ぼくは意志を持って自分の咲く道を選ぶことができます。

その選択肢があること自体が、僕たち人間が持つ最大の希望なのかも。

今日、ボクははどんな「意志」を育てるか? 
そして明日、「きみは」どんな「思い」で咲きますか?

などと、ポエマーな記事でした。

ついでに。
今日9月の27日土曜日。蛹が羽化しようとしてました。
途中で力尽きてました。

あと少し。
くもり空でしたが、翔び立つチャンスがあったのでしょうが。。。
今目の前にチャンスがあります。
事実として動けるのですから、羽を動かすことができるのですから、羽を動かしてみましょう。

少なくとも君たちは飛べるはずです。
飛ぼう。

跳んで見よう。翔べるよ。

飛べ。

 

 

 

 

 

 

2025-09-07 09:29:00

心構えシリーズ⑨~技術だけでは勝てない。勝敗を決める「心の準備」とは?

【試合に向けた心構え】技術だけでは勝てない。勝敗を決める「心の準備」とは?

どれだけ厳しい稽古を積んでも、どれだけ技が上達しても、試合本番で実力を出し切れない選手は少なくない。


その原因の多くは―― 「心の準備不足」 かも。

試合の勝敗は、当日の技術や体調だけでなく、前日から会場に向かうまでの 「心の持ちよう」 に大きく左右されますよね。


今回は、試合を控える選手や、これから挑戦したい人に向けて、「試合に向かう心構え」をお伝えします。


1. 試合の「恐怖」を「期待」に変える

試合前に緊張や不安を感じるのは当たり前です。
「相手はどんな選手だろう…」
「もし負けたらどうしよう…」

大切なのは、この 不安を無理に消そうとしないこと
その「恐怖」を「期待」に変えてみましょう。

と、いわれても。。。
わかるよぉ~。

  • 「今まで練習してきたことが、どこまで通用するか試せる!」

  • 「新しい自分に出会えるチャンスだ!」

  • 「応援してくれる人に成長した姿を見せられる!」

試合は怖いものではなく、自分を成長させてくれる最高の舞台です。
上に書いたように思えるといいよね。

・・・難しいかな?。

うん。気持ちはわかる(^^)


2. 「成功のイメージ」を鮮明に描く

試合前には、できるだけ具体的に「成功している自分の姿」をイメージしましょう。

  • 自分が最高の動きをしている姿

  • 攻めて攻めて、思い切り戦っている姿

  • 試合後に清々しい気持ちで相手と握手している姿

イメージは完璧でなくても構いません。
むしろ「多少失敗しても、前に出て戦い続けている自分」を描くほうが、当日の動きにつながりやすいのかも。

成功している自分の姿を想像するのも…チョット…。ならば妄想しよう(^^)


想像だろうと妄想だろうと、稽古してきたのなら、自分は動くし、攻撃し続けるし、ヤラれるなら見事に負けてみせる。

そんな気持ちで行こうね。


3. 「勝ち負け」にこだわりすぎない勇気

もちろん、勝利を目指すのは大切。
しかし「勝たなければならない」という強い思い込みは、心と体を固くしてしまいます。

試合の本当の目的は――
「練習の成果を出し切ること」

  • 技を出し切る

  • 動き続ける

  • 反則しない

  • 後悔を残さない

    多すぎる?ならば!

    俺は動き続ける!!
    そう言って、それをヤロウ。

これだけを意識すればOKです。
勝敗はその後についてきます。

見事な負けっぷりを魅せような。



まとめ|緊張してもいい、動き続けろ

試合は、普段の稽古の成果を見せる場であり、自分自身の「心」と向き合う舞台です。

  • 緊張や不安は「期待」に変える

  • 成功のイメージを描く

  • 勝敗よりも「全力を出し切ること」を大切にする

    やっぱり・・・無理・・・。その思い。

    構わない。

    動こう、ヤロウ。

とにかく大事なのは、 緊張したままでも動き続けること
攻撃して、動き回って、自分を表現し尽くしましょう。

そうすれば、きっと後悔のない最高の戦いができます。
・・ま・・ああすればよかったとか・・・後悔はあるかな。。。

始まったら動くしかない。動いて、そしてヤルの。
ガンガンヤル。

頑張って!ボクは健闘を心から応援しています。


かっこよくやろうとして相手をみすぎたり、しっかりやろうとしない。
実力のあるベテランじゃないんだから。

そんな事やってると、「後手」になります。
「先手」「先の先」「後の先」とにかく間髪入れない。

自分からね。
自分から攻撃してもよし。
自分から左右に動いて相手に攻撃させてもよし。


動け! ヤレ! ヤル!

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2025.11.13 Thursday