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親の関わり方
親と先生、最強タッグで応援!
親だからこそできること、と、親じゃないから届くこと
子どもの成長に必要な「2つの存在」
子どもが心も体も健やかに成長するためには、まず“親”という存在が欠かせません。
でも――親だけでは届かない部分があります。
そんな時に力を発揮するのが、家族ではない**「第3の大人」**です。
空手道場の先生、学校の先生、習い事のコーチなど、家庭の外で出会う大人が、子どもの可能性を広げてくれます。
1. 親だからこそできること ― 揺るぎない安心感
親の最大の役割は、「絶対的な安心基地」になること。
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無条件の愛情を注ぐ
成功しても失敗しても「いつでも味方だよ」と伝えることで、挑戦と立ち直りの力が育ちます。 -
本音を話せる場所を守る
家では背伸びせず、ありのままの自分でいられる。そんな環境が子どもの心の安定を支えます。
親の存在は、子どもの自己肯定感の土台です。日々の会話やスキンシップの中で、
「愛されている」という確かな自信を育みましょう。
2. 親じゃないから届くこと ― 新しい世界と挑戦
家庭の外で出会う大人は、親とは違う視点から子どもを導きます。
時には、親だとつい避けてしまう“社会の厳しさ”や“理不尽さ”も経験させてくれます。
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適度な厳しさを教える
規律や礼儀、努力する意味など、社会性を身につけるうえで大切なことを伝えます。 -
客観的に褒める
技が上達した時や試合で勝った時、「すごいぞ!」と評価される喜びは、親の言葉とはまた違う重みがあります。
先生やコーチは、子どもが自分を客観視するきっかけを与えてくれる存在です。
3. 「いいとこ取り」で最強の応援体制を
親と先生、それぞれの強みを活かして協力すれば、子どもの成長は加速します。
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子どもの様子を共有する
家と道場の両方での姿をお互いに知り、多角的に見守ります。 -
役割を分ける
親は「心のサポート」、先生は「技術と精神面の指導」に集中。混乱せず成長できます。 -
信頼関係を築く
親と先生が信頼し合うことで、子どもは「自分はたくさんの大人に見守られている」と安心できます。
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結び:子どもにとって必要なのは「身近で本音を言える大人」
親も先生も、目指す場所は同じです。
子どもが「本音を言える大人」に囲まれて育つこと――これが一番の力になります。
道場が、そのための出会いの場となれれば嬉しく思います。
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いろはにポイント
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い いちばんの安心は、家でつくる
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ろ ローンチ(出発)は外の世界から
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は ハーモニーを奏でる親と先生のタッグ
素直で素敵で素晴らしい
楽しく楽しむタクマシク
華麗に可愛くカッコよく
親の関わり方。
★ 頑張る。モット頑張る。とことん頑張る。
はい!とても素晴らしいです。
「頑張れ」は、親御さんの愛情そのものです。
でも、その愛情を本当に伝えるためには、ぜひ具体的な言葉を意識してみてください。
お子さんの努力を具体的に見つけ、それを言葉にして伝えること。
そして、つらい時や、つまずいた時には、指導者と一緒に「なぜだろう?」と考えるヒントをあげること。
そうした日々の積み重ねが、お子さんの心を強くし、未来を拓く大きな力となります。
道場での成長は、ご家庭の温かいサポートがあってこそです。これからも一緒に、
お子さんの成長を支えていきましょう。
と、立派な言葉並べましたが、日々の声かけ難しいですよね。
たぶん・・・親御さん自身も誰かに励まされたいとか、コーチングしてほしいとか・・・。
そんなメンタルであろうとも、子どもには声かけてあげないと。
パパ&ママ
ガンバレ!
うん。大人は応援の言葉を聞けば頑張ることデキるでしようね。
頑張らなきゃいけないし・・。(*^^*)
・‥…━━━☆・‥…━━━☆
「がんばれ」だけじゃ足りない。“応援”の正体って何?
子どもが試合や練習でうまくいかないとき、つい口から出る「がんばれ!」。
もちろん気持ちはこもっているけれど、それだけじゃ届かないことがあります。
なぜなら、技術よりも“気持ち”が落ちているときに響くのは、もっと具体的な声だから。
たとえば――
「立ち姿、見違えてどこにいるかわからなかったよ。たくましかった。」
「今日、声がよく出てたよ。凄く声出ていてすぐに〇〇のいる場所がわかったよ。」
こういう言葉は、「何を頑張ればいいか」がハッキリします。
逆に「ちゃんとしなきゃいけないよ」と言われても、子どもからしたら「何を?」となってしまう。
そう、言ってしまうのですけどね。
礼儀や行儀が崩れているときは…
もし礼儀や行儀が悪いなら、姿勢を正させてキツめに言うのはOKだとおもいます。
個人的な意見なので専門家の意見聞かないといけませんが。
でも、道場の空間は道場のあり方で経験してもらったほうがよいかと。
いろんな価値観が有ることを知ることもデキるでしょうし。
でもそのときも、ただ叱るだけじゃなく、こう伝えてほしいのです。
僕自身意識しなしきゃいけないこと。
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どんな態度が望ましいか
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どう受け応えすればいいか
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周りの人にはどう接すればいいか
一回で伝わらなくても大丈夫。今日伝わらなくても、また次回。
親 (指導者のボク) が 根気よく続けることで、少しずつ届きます。
嫌われ役は指導者に任せていい
嫌われ役は、僕(指導者)がやります。
そのあと、親はこう関わってあげてください。
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そのとき、なぜ怒られたのか
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どう対応すればよかったのか
これをヒントとして会話にしてあげる。
そうすれば、親子の関係は前に進みます。
“感情”を理解することも大事
人は感情で動きます。ときには悪くなくても怒られることがあります。
そんなときは――
【指導する側に問題がアルのでしょうが、指導者も人間。たくさんの人数だと雑くもなります。これ考えると、学校の先生にはリスペクトばかり。】
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「そんなときは、こんな気持ちになるよね」
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「こんなふうに考えてみるのはどうかな」
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「相手を観察してみると、自分の感情と他の人の感情が見えてくるかも」
こういう話を、親子でしてみるといい。
そうすれば、
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信頼できる人と、できない人
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指導者として尊敬できる人と、そうでない人
この人のこの部分は良いところ・悪いところ。
こういった見極めも、少しずつできるようになります。
多分ですけど(*^^*)。個人個人でそのへんは本を読む形で学んでくださいね。
まとめ
「がんばれ」だけじゃ足りないときがあります。
具体的な言葉で、そして感情を理解する会話で、子どもの心は前に進む。
応援とは、技術よりも“気持ち”を立て直すためのサポート。
器 2・螺旋
自分の“器”を、自分で変えよう。
道場は。
君が (ボクかな(^^)) 育てるべきは、技術だけじゃない。
「人物としての器(うつわ)」そのもの。
器は、勝手には大きくならない。
必要な知識を仕入れたら、
それを 実行・実践しよう。
行動して、ふり返って、改善して、再挑戦!
これを何度も何度もやる。
回して、まわして、PDCAサイクル。
同じところをぐるぐる回ってるようで、
前回にも書いた。
螺旋階段”を登るように、上昇している。
器が大きくなるとは、こういうこと。
・前は受け止められなかったことを、受け止められるようになる。
・反発してたことを、受け入れたり、活かせるようになる。
・今まで無理だったことに、再挑戦する勇気が湧く。
そして、あふれた分は?
器がいっぱいになってあふれてきたら、
そうです。その時こそ考える。
「これは、どうやって今の器に収めよう?」
「もし無理なら、どうすればもっと大きくなれる?」
そうやって、自分自身に・問い・を投げかけてみよう。
その問いが、次の成長のカギになる。
君の器を変えられるのは、君自身だけだ。
実行・反省・改善・再挑戦――この螺旋を、登っていこう。
と、自分に言い聞かせてみるボクでした。
きつい練習が楽しい!それは自ら楽しげに積み重ねる
一人で踊ってます。
一人じゃないとおもっていた?
曲は変えてます。ナルトじゃないです。
17時から21時近くまで稽古。
途中休憩と、ソーセージ系のもぐもぐタイムを挟んでますが。
カナタとカナタ。
よく足上がっています。
二人のケリはかっこよい。
もちろんムッキーも。
ムツキの動きは矯正したい部分が多いのですが、
日々見ていて、動画?かな。
それとも自分で考えている。
過去に指摘した技のつなぎ方とか意識している?。
よくわからないけど、本当によく進化してます。
カタツムリのような進化スピード。
しかし、気づけばそれなりの距離進むし、指数関数的に進む瞬間が現れるでしょうね。
実際、今の体重でキックボクシングすれば、かなり自分のファイトスタイル表現できるでしょうね。
合同稽古終われば、色々体で覚えるために、補強とかトレーニングの仕方とか、
経験してもらってます。
「りょうた」もジワジワ進んでます。
彼の場合は気性をモット激しくデキるといいのですが、おとなしすぎかな。
でも、ケリは進化するし距離も得意な間合い分ってきてるし。
せめてパワーアップしてもらいたいね。
頑張ろうな。やる分には、全部教えるから。
奥に映る「たいし」もね。
性格も良いし、センスは抜群・・・ただ、「キャーッ」といって逃げるのは(^^)
動きはカッコいい。
俺が一番。ぐらいの気性で、稽古して、試合に挑もう。。
ボクはスパーでも動けない。
ケントや高校生「りょうた」相手なら、カッコだけでもなんとかなるけど・・・
めぐ先生に・・・笑われてます。(^^)現実は受け止めよう。
陰から力使うね。。
周りの生徒に貢献する。
ちなみに高校生「りょうた」センスは抜群。
ウダウダするのがナァ~。。
ケントは社会人。
定期的に稽古が出来ないのは致し方ない。
だから、いろいろ、生涯役立つ技術教えていってます。
さぁ、8月も近い。お盆休み過ぎたらまた試合向けの稽古・練習。
生徒個人・個人のメニューつくる。
頑張るぜぇ~
質問する技術④。知識をひけらかすのではなく、相手の成長のためにどう「渡す」か
「質問が出ない」そのとき——これでいいのだろうか?
知識をひけらかすのではなく、相手の成長のためにどう「渡す」か。
これは、僕が今もずっと試行錯誤している部分です。
指導していて、ふと立ち止まる瞬間があります。
「質問が出てこない」のです。
ここまで読んでくださった方の中には、
「小嶋先生の指導なら、みんな納得してて質問なんて出ないんじゃないですか?」
モット褒めてもいいよ。
そんなふうに言ってくださる方もいるかもしれません。
実際にやってみて、体で実感してもらう稽古を大切にしています。
そこには、理論や理屈もありますし、経験からくる現実も深く込められている自負もあります。
生徒たちが「先生の言う通りにすれば間違いない」と信頼してくれていることも感じています。
それは、指導者として本当に光栄なことです。
でも、それでも僕の心の中にはいつも、
「コレで・・いいのかなぁ~?」という問いが横たわっているんです。
★なぜ、質問が出ないのか?
僕は基本的に、高校生以上には「一つ教えたら、黙って見ている」スタイルでいます。
質問が出てきたら、その先を教えよう。そう思っているのですが……。
我慢できずにくちだしするけどね。
サンドバッグを打つ手は止まらない。
それぞれ真剣に稽古に向かっている。
それはとても誇りに思えます。
でも、質問がない。
不思議でならないんです。
僕はいつも稽古中に、疑問が次々に浮かんできた人間でした。
彼らは——
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僕に聞いても仕方ないと思っているのか?
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実はしっかり理解して、黙って吸収しているのか?
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僕の指導が「説明の理解が、しにくい」から、逆に言葉にできないのか?
たまに、万人受けする言い方をすべきか……と考えることもあります。
それっぽく、素晴らしい系の言葉並べたくる。がいいのかな。
でも、世間で「もっともらしく」語られていることが、
すべての人にとって本当に役に立つかというと、そうでもない。
すごい人の話が、普通の人に役立つとは限らない。
でも、有名な選手等が言うと鵜呑みにしている子もいる。
「きみはタイプ違うと思うが・・・。」
有名選手は、さすがトップなだけ有る。才能があるのです。
きみは普通。
きみに向いているスタイルから作り込んで、トップに喰らいつこうよ。
それともボクがきみの才能に追いついていないのか・・・、。
質問が出ない理由——僕が考える3つのパターン
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完全に理解し、納得している。
これは、理想的な状態です。 -
理解しているけれど、「問いを立てる力」がまだ育っていない。
もっと深掘りできる問いに、気づけていないだけかもしれない。 -
実は理解しきれていない。でも、「こんなこと聞いていいのかな」と遠慮している。
理解できない自分を、どこかで「申し訳ない」と感じているのかもしれない。
2番目と3番目の可能性を考えると、
僕の中でまた、「これで本当にいいのだろうか?」という問いが頭をもたげてくるんです。
質問されて、すぐに言葉に出来ないけれど、頭の中のイメージは出来てます。言葉として表現するのが難しいのです。そして今、やって見せることが出来ない現実があります。
許してくれ。
★僕が目指している指導
僕は、ただ技を教えたいわけではありません。
生徒たちが、自分で課題を見つけ、自分で答えを探し、自分で成長していけるようになってほしい。
だからこそ、僕の指導は「答えを教える場」であると同時に、
「問いを見つける手助けをする場」でなければならないと思っています。
【難しいですね。】
生徒が「これだ!」と納得できるほど、質の高い指導を追い求めながら、
同時に彼らが「なぜ?」「もし○○だったら?」と自ら問いを立てるような場もつくっていきたい。
「質問が出ない」ことに満足せず、
その奥にある可能性を、僕はもっと引き出したいんです。
★僕には先生がいませんでした
かっこつけて言うなら、**「我以外、皆我師」**です。
僕が格闘技を始めたころ、練習する場所も、人も、圧倒的に少なかった。
キックボクシングのジムなんて、今のようにありませんでした。
聞きたいことは山ほどあるのに、聞く相手がいない。
練習相手もいない。
たまに弟がミットを持ってくれるだけ。
だから僕は、ひたすら「試す」しかなかった。
考えて、仮説を立てて、試合の3分で確かめる。
あーでもない、こーでもない。
無駄が多すぎるかもしれない。
でも、やってみないとわからない。
そんな試行錯誤の連続でした。
誰かに聞きたくても、
ようやく聞けたときには、相手の答えがマチマチ。
時には、偉そうで上から目線で返されてしまったこともあります。
聞きたいのは、そんなことではない・・・。
……いや、僕が素直じゃなかっただけかもしれません(笑)。
★今、僕がやるべきこと
だからこそ今、僕が目指すのは、
「答えを与える」よりも、「問いを引き出す」指導。
質問が出ないときこそ、自分の指導を振り返る。
生徒が“自分から聞きたくなる”空気を、もっと意図的につくる。
それが、僕がこれからも挑み続けるテーマです。
ヤル、マカシとけ。
今日の練習で、誰かがぽつりと質問してくれるかもしれない。
その一言が、全体の成長につながるかもしれない。
その種をまくのが、僕の仕事。
問いの芽を育てる場所をつくるのが、指導者だと思っています。
と、思っていますが。
むずかしい・・・。
質問まつより、ドンドン、指導したほうが早い・・・。
これがイケないのか。
まつのも技術が必要ですね。